Pulp Magazine

都市伝説など様々な分野のオカルト情報を紹介しています。

私が体験した不思議なできごと

お題「夏休みの思い出」

初めての記事。
なにから書こうか悩んだが、私が体験したことを書こうと思う。

まぁオカルト的なことは好きで、小さい頃から興味はあった。
しかし、霊感とかそういうものに縁遠い私にとって、不思議なできごとを体験する機会はないと諦めていたのだ。

だからこそ、オカルトが好きになったのかもしれない。

そんな私だったが、40年近い人生の中で不思議だなという体験が3回ある。

この数が多いのか少ないのかわからない。
たまたまかもしれないし、勘違いや気のせいだと言われることもある。

その1回目の体験を書いてみたい。

 

f:id:weblogwriter:20180825034846j:plain

 

最初に不思議なできごとを体験したのは高校生のときだ。

1995年。
この年はいろんなことがあった。
私は関西に住んでいたので、正月早々に起こった阪神大震災も経験したし、オウムの地下鉄サリン事件などもあって、強く印象に残っている。

その年の夏のことだ。
私は家庭の事情からアルバイトに励んでいた。
と言っても、夏休みの間だけの短期間がんばる予定だったので、日雇いでできる仕事に足を運んでいたわけだ。
当時は今ほど規制が強くなく、日雇いのバイトなら履歴書を提出して面接を受けるなんてことをしなくても良かった。
友だちと一緒に行って、引っ越しのアルバイトとかなら簡単に潜り込むことができたのだ。

大阪に住んでいる人なら新今宮の駅の口入屋などが有名かもしれないね。
まぁ問題になるといけないので、どこで働いていたのかは書かないけど。

さて。
私が働いていたところは日雇いといっても、行ってみるまではその日の仕事の内容がわからないといったものだった。
日給は8000円だったと思う。
ただし、アゴ足代を含まず、という形だ。
つまり、交通費と昼食代が出ないってことだね。

これが引っ越しの仕事なら、たまにご祝儀をもらうことができたし、お昼ご飯を差し入れてもらえることもあった。
もちろん、その仕事場のリーダーが独り占めするなんて、あるあるネタを体験したりもしたね。

そんな仕事場で外れと言われていたのが、震災の後片付けだ。
正直に言って、初めてこの現場になったときは、度肝を抜かれてしまった。
当時、私の住んでいた場所はそこまで被害が大きくなかったんだ。
テレビで高速道路が倒壊しかけていたりといった映像を見ていたけれど、どこか実感できていなかったのだと思う。

それが本物の現場を目の前にして圧倒されてしまった。
関西に住んでいたので、神戸にも何回か遊びに行ったことがある。
その街がここまで壊れてしまうのかと、すごくショックを受けたんだよね。

地震の写真

地震の写真

朝から晩まで、ずっと瓦礫を片付ける。
肉体よりも精神的に疲れる仕事だった。

そんな仕事がたまに割り当てられていたんだ。
私も数回あたって、どうにもその日は疲労してしまっていた。

仕事が終わると、バンに乗せられて事務所まで帰る。
ちょうどお盆の時期だったかな。

汗臭い身体を引きずるようにして家路を歩いていた。
すっかり日も落ちて、薄暗くなった中で、誰かに肩を叩かれたような気がした。

足をとめて、振り返る。

もちろん誰もいない。
気のせいかと思って、また歩く。

ポンポンと肩を叩かれた。

振り返る。
やっぱり誰もいない。

最初のは気のせいだとしても、2回目は確かに叩かれた感触があった。

でも、誰もいないのだ。
なんだこれ、と思いつつも足を進める。

肩を叩かれることは、もうなかった。

 

f:id:weblogwriter:20180825041633j:plain

 

家につくと、一緒に暮らしていた祖母が出迎えてくれた。
祖母は私を見て、こう言った。

「ちょっと待ち。家入ったらあかん」

そして、家の中に引っ込むと塩を持ってでてきた。

「後ろむいて、じっとしときや」

と。塩を私に振りかけた。

「どしたん?」

いつもと違う様子の祖母に声をかける。
このとき、私はさっきのできごととまったく結びつけていなかったのだ。
だから、なんで塩を振りかけられるのか、意味がわからなかった。

「なんやわからん。わからんけどな、祖父さんが言うた気がしたんや」

「ほんまに? ボケてんの?」

「ボケたんとちゃうで。自分でもようわからんけどな」

「そっか。じゃ後で手ぇあわせとくわ」

「そうし」

ちなみに私の祖父は1993年に病気で鬼籍に入っている。

このあと、霊感のある人だと幽霊を見たり、霊的な現象が起こったりという体験をしたのかもしれない。
でも、私にはなにも起こらなかった。

ふつうにお風呂に入って、ご飯を食べて、仏壇に手をあわせて、テレビを見て、寝た。

とかく疲れていたのだろう。
その日はぐっすりと眠れた。
金縛りにあうこともなかったし、夢の中で変な体験をすることもなかった。

落ちがない。

そういう話だ。
私自身、疲れていたからかなとは思う。
でも、肩を叩かれた感触はあった。
そして、そのときに誰もいなかったんだ。
それだけの話である。